アイドルグループ「℃-ute(キュート)」の元メンバーで、歌手、モデルとして活躍している鈴木愛理さん。
グループ解散後はソロとして活動しており、今後の活躍も期待されています。
そんな鈴木愛理さんですが、
と、疑問の声が広まっているようです。
というわけで今回は、
鈴木愛理は鈴木雅之の娘ではない!
鈴木愛理の父親はプロゴルファー!
上記について、お伝えしてきます!
鈴木愛理のプロフィール
鈴木愛理さんのプロフィールは、こちらです。
生年月日:1994年4月12日(30歳 ※2024年時点)
出身地 :岐阜県
身長 :161.8cm
血液型 :B型
趣味 :絵を描くこと・物を作ること
事務所 :アップフロントクリエイト
職業 :歌手、女優、モデル、YouTuber
鈴木愛理さんは、2002年に「ハロー!プロジェクトキッズオーディション」に合格。
2003年にはハロー!プロジェクトの新ユニット「あぁ!」に選ばれています。
2005年には「℃-ute」が結成され、一気に知名度を高めました。
2017年に「℃-ute」が解散してからは、鈴木愛理さんもハロー!プロジェクトを卒業。
現在はソロ歌手やモデル、女優としてマルチに活躍しています。
鈴木愛理は鈴木雅之の娘ではない!
鈴木雅之さんはラブソングを多数ヒットさせた、「ラブソングの王様」ですよね。
1980年には、「シャネルズ」のリードボーカルとしてデビュー。
「ラッツ&スター」に改名後は、「ランナウェイ」「め組のひと」など数々のヒット曲をリリースしています。
鈴木雅之さんは中学の同級生である礼子さんと結婚。
2人の間にはお子さんはいないので、鈴木愛理さんとは無関係であることが分かります。
親戚なのか?
鈴木愛理さんと鈴木雅之さんは、親戚関係でもないようですね。
苗字が同じ「鈴木」なので、「もしかすると親戚なのでは!?」と話題になっていました。
とはいえ、「鈴木」は全国トップ3に入る苗字ですから、同じ苗字の人なんてたくさんいますよね。
【3つ】鈴木愛理は鈴木雅之の娘と言われる理由は?
鈴木愛理さんは鈴木雅之さんの娘と言われる理由は、何なのでしょうか?
順番に見ていきましょう。
理由①コラボ曲をリリース
鈴木愛理さんと鈴木雅之さんは2020年に、
デュエット曲「DADDY ! DADDY ! DO ! feat. 鈴木愛理」を発表しています。
子の楽曲は、アニメ『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦』のオープニング曲となりましたす。
ラブソングの王様である鈴木雅之さんのアニメソング、かつコラボとあって、かなり話題になりましたね。
作詞作曲はいきものがかりの水野良樹さんで、ゲストボーカルとして鈴木愛理さんが参加。
曲名に「DADDY!(お父さん)」とあるので、2人が親子だと誤解が生まれたようです。
鈴木愛理さんと鈴木雅之さんがコラボしたきっかけは、音楽プロデューサーの本間昭光さん。
鈴木雅之さんと本間昭光さんは息ぴったりの仲。
鈴木雅之さんは、「ラブ・ドラマティック」が、
アニメ「かぐやさまは告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」の主題歌に抜擢。
その第二期の主題歌として、鈴木愛理さんを紹介されました。
鈴木雅之さんは鈴木愛理さんの声を聞き、「一緒にやってみたい!」と思ったそうですよ。
また鈴木愛理さんの父・鈴木亨さんを知っていたのも大きかったそうです。
鈴木愛理さんはラブソングの王様である鈴木雅之さんとの共演に、大変驚いたようですね。
理由②年齢差
鈴木愛理さんと鈴木雅之さんは、親子でもおかしくない年齢差です。
鈴木雅之さんは、1956年9月22日生まれの68歳(2024年)。
鈴木愛理さんは、1994年4月12日生まれの30歳。
鈴木雅之さんが38歳のときの子供と考えると、親子関係であってもおかしくはないですよね。
そのことから、2人が親子だと噂に発展したようです。
理由③苗字
鈴木愛理さんと鈴木雅之さんは、おなじ「鈴木」という苗字ですよね。
「鈴木」という苗字は、日本全国に約179万人。
苗字の数ランキングでは、「佐藤」に次ぐ第2位となっています。
そのため、「鈴木」という苗字の芸能人は多くいますよね。
たまたま音楽の分野で同じ苗字の2人が出会っても、おかしくないです。
デュエット曲をリリースしたことで、余計疑惑が生まれたようですね。
鈴木愛理の父親はプロゴルファー!
鈴木愛理さんのSNSにもたびたび登場しており、ファンの間では周知の事実です。
なんと鈴木愛理さんの母・京子さんも、元ゴルファーだそうですよ。
両親の影響で、鈴木愛理さんもゴルフが趣味なんだとか。
親子仲は大変良好で、父が鈴木愛理さんのライブを観に来ることもあります。
鈴木亨さんは、父の鈴木基之さんがゴルフ練習場を経営していたため、幼少期からゴルフを始めています。
愛工大名電高等学校卒業後はプロゴルファーになるため、日本大学ゴルフ部に入部。
主将を務めていました。
1987年には、日本アマチュアゴルフ選手権を制覇し、23歳でプロ入りとなりました。
わずか2年後には、ゼンリン福岡オープンで初優勝。
2011年まで賞金シード権18年間連続維持。
4日間のうち1日だけ爆発的なスコアーを出すことから、「ボンバー鈴木」と呼ばれていました。
2016年からシニアに転向し、未だに現役で活躍を続けています。
鈴木亨さんは「子供に恵まれている」と語っており、仲の良い素敵な家族のようですね。