稲川淳二の次男の死因は何?26歳の死で難病・クルーゾン症候群だった?

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独特の語り口で怪談話を聞かせるタレント・稲川淳二さん。

怖いながらも温かみのある稲川淳二さんは、「怪談家」と「工業デザイナー」として活動しています。

そんな稲川淳二さんですが、プライベートでは2児の父でもあります。

ですが…次男はすでに亡くなったとの情報が…。

稲川さんの次男が亡くなったのはなぜなのでしょうか?

というわけで今回は、稲川淳二さんの次男にスポットを当てていきます!

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目次

稲川淳二のプロフィール

稲川淳二さんのプロフィールはこちらです。

稲川淳二
出典:X

名前:稲川淳二
本名 :稲川 良彦(いながわ よしひこ)
生年月日:1947年8月21日(77歳)
出身地 :東京都渋谷区
血液型 :AB型

元は工業デザイナー兼劇団スタッフで、知人を通じテレビやラジオに出演するようになります。

「オールナイトニッポン」のラジオパーソナリティを経て、舞台俳優やお笑いタレントとしても活躍。

ラジオ放送での怪談話が好評を獲得し、「霊感タレント」として、夏の風物詩とも言われています。

『稲川淳二の怪談ナイト』は連続公演30年を達成し、書籍や怪談話のアルバムも多く出版しています。

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稲川淳二の子供は2人!

稲川淳二さんには、子供が2人います!

1977年:長男・貴洋さん誕生
1986年:次男・由輝さん誕生

稲川淳二さんは1977年、元モデルの尚子さんと結婚。

同年に長男の貴洋さんが誕生しました。

その後、1986年に次男の由輝さんが誕生しています。


以前は尚子さんとCMで共演したほどのおしどり夫婦でしたが…1990年から別居しているそうです。

尚子さんは稲川淳二さんの事務所社長なので、「給料を振り込むだけの間柄。」なんだとか。

長男・稲川貴洋さんは俳優として活動していましたが、現在は目立った活動はしていません。

そして次男の稲川由輝さんは、先天性の障がいを持っていたようです。

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稲川淳二の次男の死因は何?

稲川さんの次男・稲川由輝さんは、2013年4月にこの世を去っています。

稲川さんの次男の死因が何なのか…詳しくは特定できていません。

ですが、

次男・由輝さんは、生まれつき「クルーゾン症候群」という病を患っていたようです。

難病・クルーゾン症候群とは?

難病・クルーゾン症候群について調べてみました。

クルーゾン症候群とは、頭蓋骨の割れ目が早期に閉じ、脳の成長を妨げたり、顔が変形する病気です。

発話ができず、外見的には眼球が突きでたりといった特徴があります。
呼吸障害も伴い、水頭症を合併することもあるそうです。




患者によって症状はさまざまとのこと。

次男・由輝さんには、視覚、聴覚、知能に障がいがありました。

妻の尚子さんは、由輝さんを出産してすぐ、「この子、少しおかしい。」と涙ぐんでいたとか。
稲川淳二さんは、あまりのショックに、「我が子を手にかけようとさえ思った」と語っています。

さまざまな病院に診断してもらった結果、クルーゾン症候群だと発覚します。

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稲川淳二の次男は26歳で亡くなっていた

稲川淳二さんの次男・由輝さんは、2013年4月26歳で亡くなっています。


前述した通り、難病・クルーゾン症候群を患っていた由輝さん。

この病気を患って生まれた子供は、10代半ばで亡くなってしまう可能性があるそうです。


生まれてすぐ頭蓋骨の手術を何度も受け、体じゅうを管につながれ…

成長に合わせて何度も手術を乗り越えてきたんだそう。

それでもずっと笑顔だったといいます。

また、稲川さんの妻は『できることはやらせよう』という方針で次男を育ててきたようです。

長男から聞いたのですが、運動会でも黄色いゼッケンをつけて一生懸命走っていたし、鉄棒にも挑戦していたそうです。なんでも「できることはやらせよう」という方針ですね。私ならたぶんできなかっただろうけど、女房だからできたんでしょうね。私は何にもしてあげられませんでした。

引用:文春オンライン



10代半ばで亡くなってしまう方が多い中…

由輝さんは26歳まで一生懸命生きてこられたんですね!

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次男は妻に任せきりだった…

しかし、次男のこどは妻・尚子さんにすべて任せっきりだったという稲川さん。

ずっと仕事ばかりしていたと言います。


稲川淳二さんは、長年尚子さんと別居しており…住んでいる場所も知らなかったのだとか。

そのため、由輝さんには、幼いころからほとんど会っていなかったそうです。


長男から由輝さんが亡くなった知らせを受け、病院に駆けつけた稲川さん。

それまで障がい者に理解があるつもりだった稲川淳二さんですが、

どこかで〝自分とは別の世界の人たち〟と思っていたそうです。

次男が生まれ、障がい者ということが受け入れられなかったと言います。


手術中も、「失敗すればいい…」とまで思ったこともあるとか。

ですが、その気持ちに後悔の念を語っています。

なのにあいつは生後4カ月で、朝8時から夜8時までの手術に耐えた。手も足も針や管でつながれ、ちっちゃい体で息をして。一生懸命生きようとしている姿を見た時、すごく自分を責めました。おれはなんてやつだ、最低だと。

引用:文春オンライン

稲川淳二さんは激しい自己嫌悪に陥ったため、お笑いの仕事を辞めたそうです。

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稲川淳二の次男の著書を出版

2001年には、尚子さんが由輝さんのことをつづった著書を出版しています。

タイトルは、『ママと呼んで!由くん』

母と息子の苦労した経験をつづっているかと思いきや、とても明るく悲壮感がまったくない作品だそうです。


稲川淳二さんは由輝さんの影響で、障がい者支援活動に取り組むようになりました。

「次男が教えてくれたのは、世の中にはいらない命はないということ。何か自分でもやらなきゃいけないなと、彼が教えてくれた障害に向き合っている。だから今、こういう状況にいることがとっても幸せですね」

引用:文春オンライン

若くして旅立つことになってしまった次男に届くように、稲川淳二さんは今後も活動を続けていくでしょう。

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