パリオリンピックにおいて、スケートボード女子ストリートの銀メダリスト・赤間凛音選手。
主流である「回し系」と呼ばれるトリックではなく、一線を画す滑りで台頭した逸材です!
そんな赤間凛音選手の父親はどんな人なのでしょうか?
五輪メダリストを育て上げた父親について気になりますよね。
というわけで今回は、赤間凛音さんの父親にスポットを当てていきます!
赤間凛音(あかま りず)のプロフィール
赤間凛音さんのプロフィールはこちらです。
生年月日:2009年1月8日(15歳 ※2024年7月時点)
出身地 : 宮城県仙台市
身長 :164cm
学歴 :東北高等学校(在学中)
趣味 :ゲーム、YouTube
憧れの五輪スター:羽生結弦
現役高校生である赤間凛音選手。
小学校2年生でスケートボードを始めました。
小学生ですでに頭角を現し、中学1年生のときには日本選手権優勝。
板に乗ったまま横に半回転し、車軸で障害物を滑る大技「バーレーグラインド」を得意としています。
なんと女子選手では、世界でもまだ赤間凛音選手しか成功していない技なんだとか!
パリ五輪では、見事銀メダルに輝きました!
赤間凛音の父親は元サーファー!?
何を隠そう、赤間凛音さんがスケートボードを始めたきっかけは、父親がサーファーだったから。
父の影響でスケートボードを始める
赤間凛音さんの父・竜児さんは元サーファー。
もともとは、娘にもサーフィンをやらせようと…
陸練習として近所の下り坂でサーフスケートをさせていたという父親。
赤間凛音さんがサーフスケートをとても楽しんでいたので『スケボーやってみる?』と提案。
全ての始まりは、小学校2年生の時にスケートボードを買ってあげたのがきっかけだったそうです。
父親はサーフィンをやってほしかった
すぐにスケートボードに夢中になった赤間凛音さん。
仙台のスケートボードスクールに通い始めます。
小さい頃から姿勢や体幹などの基礎を学んでいたのですね!
ですが、「どうせやるなら世界一を目指せ」と後押ししたんだとか!
竜児さんはサーフィンをやめて、赤間凛音選手のサポートに専念します。
平日の宮城県大崎市の練習場で、自宅から毎日往復2時間かけて送迎。
週末は新潟県の村上市スケートパークという練習場で、往復6時間送迎。
この長距離の送迎を毎日…とてもハードだったことでしょう。
ですが、父親のこの献身的なサポートが赤間凛音さんの成長を支えたんですね!
赤間凛音の父親の顔画像は?
残念ながら…
赤間凛音さんの父は一般人なので、顔写真は公開されていませんでした。
父親の年齢など…詳細な情報も明らかになっていません。
サーフィンをやっていたとのことなので…
サラッとしたロングヘアの素敵な男性なのかもしれませんね!
ですが、五輪で銀メダルを獲得した娘を持つ父親。
今後、メディアにも注目されることでしょう。
もしかすると今後、赤間凛音さんの父親として紹介される日もくるかもしれません。
赤間凛音さんの父親について何か分かり次第、こちらで追記します!
赤間凛音の父親の職業は?
赤間凛音さんの父親の職業についても公表されておらす、分かっていません。
ですが、赤間凛音選手のスケートボード生活を献身的にサポート。
長距離の送迎も毎日こなすスケジュール。
もしかすると、スケジュールを自分でコントロールすることができる『自営業』という可能性もあるのかもしれませんね!
赤間凛音と父親の親子エピソード!
赤間凛音さんと父親の親子エピソードを調べてみました。
父親は、
と約束をしたんだそうです。
小学2年生で競技を始めた当初から、「世界一」を目標に掲げました。
クラスメートが遊んでいる時間も、すべて練習に費やしてきました。
自分自身で、競技に取り組む以上は「世界一を目指すよ」と最初に話したんだそうです。
そんな赤間凛音さんに父親は、
と伝えたと言います。
そのつもりでやるなら、スケボーをやってもいいよと。今思えば始めたばかりの話なので、周りから笑われていたかもしれないが、ずっと『世界』を意識していた」と本気で向き合ってきた。
引用:中日スポーツ
赤間凛音さんは、お盆や正月も関係なく休むことなくひたすら努力を重ねてきました。
竜児さんも趣味のサーフィンをやめて、娘のサポートに専念します。
全ては娘のスケボーの予定を中心に、スケジュールが動いているのですね!
パリオリンピックでは2位となり、涙を流すことに…。
『次は絶対に金メダルを取ります』と、リベンジを誓いました。
父親との約束を胸に、次の五輪を目指すようです。
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